栃内まゆみ プロフィール・作品



      

・大学卒業後、ソプラノ、シャンソンの歌い手の友人2人と音楽活動を行う。

・1992年、仲間と劇団を旗揚げ。子供が楽しめ、大人にも味わい深い舞台をめざして小学校体育館や劇場で公演。
・童話や民話を元に、生演奏のオリジナル音楽劇を制作し、作曲、演奏を担当。
・劇団の活動が2005年知事表彰、2007年安藤為次記念賞を受ける(劇団湘南山猫)。

・さわたり組や、他劇団の芝居音楽、歌曲も作曲。
・金の鳥音楽協会、日本童謡協会、詩と音楽の会 作曲会員。

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★作品履歴

舞台の作曲作品


<劇団湘南山猫オリジナル音楽劇>
「ヘンゼルとグレーテル」「ブレーメンの音楽隊」 〜♪
「冬のつばめ(幸福の王子)」 「スーホの白い馬」
「100万回生きたねこ」(以上、川元久実子さんと共作)

「童話集・注文の多い料理店 序」
「注文の多い料理店」「じごくのそうべえ」

「王さまの耳はロバの耳」(旗揚げ20周年記念公演 2012年6月初演:川元久実子さんと共作)

「注文の多い料理店 2014」

<さわたり組>
「悪魔のいるクリスマス」「寿歌」
「銀河鉄道の夜」 「セロ弾きのゴーシュ」
 〜♪ ゴーシュの畑: チェロ:高橋美恵  曲・ピアノ:栃内まゆみ 
天翔ける銀河鉄道: 宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりのうた」のメロディーをアレンジしました。
「猫の事務所」〜♪  「土神ときつね」
「よだかの星」 「毒もみの好きな署長さん」 「注文の多い料理店」
「フランドン農学校の豚」「林の底」

<きさく座>
「広くてすてきな宇宙じゃないか」「銀河旋律」(川元久実子さんと共作)

<小和田一座>
「どんぐりと山猫」

<横浜山猫一座>
「満月の夜古池で」「曲がり角の悲劇」

<劇団こころ>
「三つめの魂」

<市民劇団オンリーワン>
「ひまわり〜DVをのりこえて」と私 より オープニングピアノ曲(ひまわりの空)

<朗読の会 みひろ>
朗読作品の合間の小曲

<茅ヶ崎 PEACE ステージ 朗読舞台「ノート」>2016年2月
「悲喜の空」 (ピアノ、フルートによる楽曲)
※朗読舞台「ノート」: 茅ヶ崎市が平和事業として、市民の戦争体験を募集。体験者本人や家族などが書き起こした原稿を
別途公募の、小・中学生から70代の方までの幅広い年齢層の方が朗読した舞台。


・・・・・・・上記楽曲の著作権は作者と各劇団に帰属します。・・・・・・・

オリジナルソング(劇中歌以外)


「子守唄」1974年、立原道造の詩に作曲)

「時のない公園」詩は茅ヶ崎在住の詩人・歌人であるエリさんの作)

「自由な風車」1983年詞:栃内まゆみ

「川にそって歩く唄」(歌:うたうロバの会)1991年 詞:栃内まゆみ
★福島の子ども達を支援のためのCD募金(500円全額募金):詳細

「草のうた」 1992年 詞:栃内まゆみ

「ものほしの唄」1996年 詞:栃内まゆみ 

 「しまふくろうの唄」1997年 詞:栃内まゆみ

「雄ひょう雌ひょうの唄」詞:栃内まゆみ

「雨雲がとうもろこしの世話をする」アメリカインディアンの詩に作曲
  (詩画集『おれは歌だ おれはここを歩く』金関寿夫訳 福音館書店 より)

「そらみみあそび唄」 2009年 詞:栃内まゆみ

「風にとけるかなしみの唄」 2009年 詞:栃内まゆみ (忌野清志郎さんを悼んで)

「水辺の山猫」(楽曲:マリンバ・チェロ・ピアノ) 2010年

「あなたを知らない」2011年 窪島誠一郎さん(戦没画学生の絵を展示した無言館の館長)の開館によせた詩に作曲 2011年
                    
宇都純子さんの語り:谷川俊太郎さんの詩『シャガールと木の葉』によせて 小曲3曲 2011年

金の鳥音楽協会 初演:2012年12月 歌2曲:「にじのはし」(詩:井上灯美子さん)、「わたしの宝もの」(詩:さいとうさちこさん)
 
日本童謡協会  初演:2013年9月4日 「空の道」(詩:小泉明子さん)
 
日本童謡協会  初演:2014年3月9日 「ねんね ねんね ねんねんねん」(詩:三浦ゆきこさん )

日本童謡協会  初演:2014年9月6日 「からすとんぼ」(詩:石川きんえつさん )

金の鳥音楽協会 初演:2014年10月 歌3曲:「いなかの夜は」(詩:谷萩弘人さん)、「あぐらのいすで」(詩:井上灯美子さん)、
「夕ぐれのブランコひとりごと」(詩:宗美津子さん)

日本童謡協会  初演:2015年9月5日 「光の樹」(詩:小林一惠さん )

日本童謡協会  初演:2016年9月3日 「エトピリカ」(詩:尾崎杏子さん )

Tochi Band 演奏「鳥祭り」   2016年10月10日  編成:オカリナ3 竹笛1 ギター2 打楽器1

「お日さまとともに」(楠クリーン村テーマ曲):二胡、ピアノ、パーカッションによるオリジナル曲 
   2016年11月5日初演  二胡奏者の岩本薫美子さんコンサート(国立市)で演奏。
      ★楠クリーン村(山口県の有機農場)の若者達が、曲名の名付け親です。

日本童謡協会  初演:2017年8月21日 「ぼくの 道」(詩:小林一惠さん ) 

「原っぱのワルツ」(詩:野老比左子さん )初演:2017年9月23日 詩と音楽の会

「タオス・プエブロ・インディアンの言葉」(『今日は死ぬのにもってこいの日』(ナンシー・ウッド著、金関寿夫訳:めるくまーる社)より
        初演:2017年9月24日 保多由子&金澤亜希子デユオコンサート(福島支援チャリティー)


アレンジ(編曲)


 「どんぱん節」 :新潟民謡 (アカペラ/女声3部)2013年1月
 「斎太郎節」 :石巻民謡 (アカペラ/女声3部)2014年1月
 「花笠音頭」 :山形民謡 (アカペラ/女声3部)2015年1月
 「箱根八里」「ずいずいずっころばし」(アカペラ/女声2部)2016年1月
 「北海盆唄」:北海道民謡 (アカペラ/女声2部)2016年12月
「おてもやん」:熊本民謡 (アカペラ/女声2部)2016年12月

  「浜辺の歌」2015年7月 (作詞:林古渓 作曲:成田為三) 津波チェロとピアノとソプラソのために
※バイオリン製作者の中澤宗幸さんが、津波の瓦礫樹木から製作したチェロを使って、
神奈川県の湘南海岸で歌詞が生まれた「浜辺の歌」が演奏されました。
〜2015年7/25日藤沢市民会館大ホール於「地球交響曲第八番」上映に寄せて演奏〜
津波チェロは楽器の中核の「魂柱」に陸前高田氏の奇跡の一本松が使われています。
◆千人の絆プロジェクト◆
世界中の演奏家にリレーで津波チェロが受け渡され、被災地の復興と、犠牲になられた方々への鎮魂の祈りを込めて演奏されています。
                                              
 

★今まで〜個人的音楽歴

       

2人のおじいちゃん

両親は音楽好きで、父方の祖父は作曲家でした。
私は「泥んこ遊び派」で、庭で木登りし、隣家のいとこと走り回って遊んでいましたが、
5歳ころから優しい先生に、小学生のときに厳しい先生にピアノを習っていました。

厳しい先生のほうは一つ前の順番の男の子が、いつもきつく叱られており、
時々ピシッと手を叩かれていました。(目をかけてもらっていたのだと思います。
後年、ピアノスト&作曲家としてのその男の子の名前を音楽雑誌で見ました。)
何となく通うのがおっくうになり(要するにわがまま娘でした)レッスンは途中でやめてしまいました。

母方の祖父は風流な人で、「能楽」を嗜んでいました。
家が近くで、幼い私は、能面をつけて舞う祖父と囃子方(鼓や謡い)の間をちょろちょろしていた記憶があります。
子供心にも、不思議な音の世界、寂しい、風の吹き渡るような世界に感じられました。
「幽玄」を体で感じていたのだと思います。

モーツアルトの音の輝き

思春期のエネルギーがロックのリズムにぴったり同調し、
学校の休み時間に必死でローリング・ストーンズのチケット注文の電話を試みていましたが、結局、麻薬騒動で来日はボツに。
すぐ上は来日したビートルズに失神者の出た世代でした。
シカゴやティーレックスの武道館公演はしっかり行きました。

家ではクラシックがかかり、何度聞いてもあきない曲もありました。
特にモーツアルトは大好きで、思春期には、耳馴染んだ曲の楽譜を入手してよく弾いていました。

後年、モーツアルトの周辺事情、彼の家族や結婚、彼の知人でモーツアルトの歌劇を上演した劇団の座長、シカネーダのことなどを知り、
また、オペラを見たり、その生涯のからむドラマ、演劇をみたりしましたが、
昔、作曲者もわからずに聴いていた頃から今にいたるまで、モーツアルトの音楽の輝きはずっと変わらずに感じられます。

作曲

中学の頃から、短い歌やピアノの曲を作るようになりました。
10代のおわりに作曲法の本を2つ、祖父にご縁のある著名な作曲家の先生から頂き、一生懸命読みました。
でも生来のなまけ者のためと、数学的思考の苦手さで挫折。
ふりかえると、やはりわがまま&傲慢でした。

私は自作の「子守唄」を持参してお宅に伺い、先生から2冊の本を渡され、「読んでいらっしゃい」と言葉をかけて下さったのですが、
ほぼ独学に近く、書かれていた内容は難しく、自分の中から湧いてくる音楽と、その理論体系とが
未熟な私の中では、まだ結びつかなかった面がありました。
結びつかなくとも、学びつづけ、もっとくらいついていれば、また違った進み方があったかもしれません。

後年、ある程度の長さの舞台音楽、劇中歌などを作曲するようになってから
構成面など学ぶものがあると思い、再度、作曲を勉強しますが、
その折には、曲の構成、分析という視点を持つことで、みえてくるものがありました。

仲間

大学で、歌のうまい友人と出会います。
彼女は19歳でシャンソンの殿堂「銀巴里」で歌っていました。その歌にほれこみました。
大学を卒業し、結婚し子供が生まれ、新しく出会ったソプラノの友人とシャンソンの友人と3人で
「うたうろばの会」を結成。育児の合間を縫ってライブハウスでコンサートをしていました。
「和声学」は抜きでしたが、詞をかき歌をかき、オリジナルソングを作りました。

また、大学では音楽鑑賞の会(クラシック、ジャズ、現代音楽:その頃はレコード)にも入っていました。
グループには音楽的にも色々な人がいて刺激的な4年間でした。

結婚して夫の持っていたレコード、ライブ行きによって身近になった音楽は
長渕剛、矢沢永吉、ウディガスリー、ボブディラン、ジェイムステイラー、キャロルキング、
クラプトン、ジョンデンバー、ニールヤング、パコデルシア、チックコリア、キースジャレト
マウンテンミュージック、ケイジャンミュージック、ケルトミュージックなど多数〜♪
(シカゴだけは共通項で、同じ頃武道館に行っていたことが判明。)

高校〜大学のときと、20代後半でも、再びピアノを習っていました。
この頃は、やはり楽器として一番自分が自由に表現できるものはピアノでした。
何をどう弾きたいか、どう表現したいかに、向き合うレッスンでした。

20代後半で教わった先生は、モーツアルトのピアノ協奏曲の全曲演奏をコンサート活動の中核に置かれ、
近年それを全うされました。

舞台との出会い

あるとき「演劇」に出会いました。子連れで劇場に舞台を観に行くことはあっても
舞台側にはいなかった私ですが、いつの間にか舞台で音楽に関わる側になりました。

生活クラブ生協神奈川(いきなりの生活感ですが、そのことは「根っこのある音楽」という意味で私にとっては印象的です。)が主催した、
宮沢賢治の音楽劇の舞台に楽士(アコーディオン)とコロスで参加。演出は加藤直さん、作曲は林光さんと萩京子さん。
すばらしい音楽でした。(山猫たちの十二月舎 宮沢賢治冬の大運動会)

そこで出会った個性ある仲間(作曲家、演奏家、歌好き、演劇好き)と劇団をたちあげました。
子供が楽しめ、一緒に行った大人にも味わいがあって、しかも家族で行ける安い舞台が少ない現状でしたので
自分たちで作ろうと旗揚げしました。
童話や民話を作曲、脚色、生演奏にこだわり劇場で低料金で公演。
やがて神奈川県のあちらこちらの学校でも公演するようになりました。(劇団湘南山猫)。
私は作曲を川元久実子さん(作曲家)と半分ずつ共作し、演奏や作詞もやりました。

皆で物語を選び、その世界を味わって音楽をつくるのは大変ですけれど、楽しい幸せなことでした。
大変なことは役者の人や脚本、演出(外部に依頼)のそれぞれの思いと折り合いをつけたり、影響されたりして曲を作ることです。

自分のゆずりたくないこだわりも主張しながら、相手の主張も本気できくところに追い込まれます
大げさな言い方ですが、曲も演奏も演技も、その人の生き方や生活と全く別のところにあるものではないことを実感です。

遅ればせながら作曲を習いました。今までの作品にアドバイスをもらい、ざっくりと教わりました。
一番学んだのは、フレーズ感(メロディーの流れの息の長さ)でした。私はせっかちなので息が短いです。
息の長さはすべてに影響するのだと知りました。

できあがった歌を芝居帰りの子供たちが口ずさんでいたり、劇場の照明のおじさんが鼻歌で歌っていたりすると幸せでした。

祖父・箕作秋吉(みつくりしゅうきち)のこと

祖父は私が中学3年のときに亡くなりましたが作曲家でした。
隣の町(茅ヶ崎)に住む小太りの、黒い丸めがねをかけた優しいおじいちゃんでした。

松林に囲まれた質素な祖父の家へ遊びに行くと、土間のある台所で優しい祖母が
野菜を刻む音がして、小さな居間では何か必ず蓄音機(多分クラシック。オーケストラだった)の
レコードがかかって、それをうす暗い廊下でもれ聴いた覚えがあります。
大変質素な生活と、ハイカラさとが一緒にある感じでした。

祖父箕作秋吉は、長女を亡くした悲しみの歌「亡き子に(讃歌・子守唄・悲歌)」や
労働歌「世界をつなげ花の輪に」や、芭蕉の俳句を歌にした「芭蕉紀行集」などの歌曲、
室内楽、色々な学校の校歌を作り、また日本現代音楽協会を立ち上げました。
私は祖父の、叙情性と温かみのある独特の音が好きです。特に賛歌、子守唄が好きですが、曲を聴いているとその純粋さに涙が出ます。

祖父の思い出といえば、音楽のことよりも、遊びにいったときに、にこにこして遊んでくれたことです。
茅ヶ崎の小和田に家があったので「こわだのおばあちゃんち」でした。行くといつも玄関の扉の向こうに
背の小さな祖母がちょこちょこと来てカギをあけてくれる姿がすけて見えました。

あるとき、祖父が玄関のあがりかまちに座ってマッチ棒を並べて私に見せました。
4本のマッチ棒が四角に並べられ、祖父が私に「1本加えて三角にしてごらん」と言いました。
できないでいると祖父は得意そうに中の1本を口にくわえました。
小さかった私は驚いて、とても祖父を尊敬したのを覚えています。

祖父の家のピアノは大変古いもので、両側に燭台がついていました。(↓写真)
祖父が昔、親戚から譲り受けた外国のものだそうで独特の音がしました。子供ごごろにも
雰囲気のあるいい音でした。覚えているのは、鍵盤を押してもあがってこないところがあったことで、
それは多分祖父が亡くなってからあとのことだと思います。

2010年4月、事情で祖父の住んでいた旧い家を取り壊すことになり、80歳を超えた父が何度も足を運び、
様々なものを整理しました。主だった楽譜などは祖父が亡くなった折に、音楽大学などに寄贈されたそうですが、
こまごまとした日常の品々を、父母と私とで段ボールに仕分けました。

ピアノは結局、私のところで引き取ることになりました。部屋に広いスペースがあるわけではなく、
戸棚1個分のスペースと窓を1つつぶして、使用中のピアノと祖父のピアノとが並んでいます。




音楽のことについて、祖父の書いたものを読む機会がありました。
音楽と思想について(というと堅苦しい言い方ですが)、「自分は「平和交響曲」や「革命カンタータ」を
書こうというのではない。けれども自分の生きる社会をよくみつめる叡智のあるところから、
いい作品(その場限りでない)が生まれる」という内容です。祖父の膨大な仕事の中では、ほんの一部の
考えなのだと思いますが、とても共感できました。

直接的に思想的な、社会的な音楽をつくるというのではなくても、自分の暮らしている世界の
人間の生活(戦争や争いごと、環境破壊の中で、働いて食べて寝て、喜怒哀楽を感じて生活していること)と
つながってこそ、ということなのだと。スケールは全然ちがっても音楽の世界の端っこにいる孫として、
私もそうありたいと思います。

祖父と賢治

祖父と賢治が同時代人だったことにごく最近思い当たりました。
祖父は1895年(明治28年)東京の本郷に生まれ、賢治は翌1896年、岩手の花巻に生まれています。
賢治は25歳のとき(1921年 大正10年)東京の本郷に下宿して校正の仕事をしていたという記録
をみつけました。賢治は上京のたびに浅草オペラや歌舞伎を見ていたようなので、もしかしたら
同じ時代の東京にいて、同じ出し物をみていたかも。。?などと楽しい想像をします。
(祖父は賢治の岩手病院という詩に曲をつけています。)
そう考えると、賢治と同じ時代の空気を吸った祖父と接したことで、10代までの私がそこにちょっぴり
つながるのだと、不思議な気持ちになります。


最近惹かれる音楽:地唄、馬おい唄、民謡、古謡、祭囃子。     



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